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Eternal full moon/under_blog こそりとdeepに語ってます、はい。

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昨年末の「るの祭典」で「なんだよ、その2.5次元芝居!」ってセリフで笑いを取っていたが、私は笑えなかった。
中河内が「薄桜鬼をもう、2.5次元とは呼ばせない」とTLしていたが、引き合いに出すのはどうかと思う。
2ndドリライのゲストに決まった時に「仁王をもう一度演りたい」と言っていた彼はどこへいったのか?

2.5次元が行き詰まる気配があること、使い捨て舞台になっていることに気づき始めている俳優たちがいる。
しかし、彼らは少数で気づかずに浮草のような人気にしがみついてるものも多い。
初期(テニミュ1st)の頃と違い俳優としての先に希望が持てなくなっている。
板の上で探り探り、あるのかないのかわからない答えを見つけ出そうともがく日々が、今は消えてしまった彼らの旧ブログには綴られていて、それは「熱しかねえ!」などとと意気込んでる最近のミュキャスとは熱度がくらべものにもならない。
一言でいうと、舞台に対する恐れと喜びが常に交差していた。

おそらく、今あの跡部キャスト降板事件のようなことが起こっても、当時のようなアクションはないと思う。
注目や優先度で舞台が原作を超えてしまった感があるからだ。
俳優たちは卒業しても、すぐに次の2.5の舞台から声がかかる。
以前は、卒業後にちょっとしたご褒美舞台があったぐらいで、ストレートプレイやミュージカル、音楽市場などへ活路を見出すことしかできなかった。

テニミュ2ndの頃、1stの子たちがそんな場所へ散っていった。
多くが端役としてテニミュとは違う狭いハコで10公演程度、空席が目立ち、実力のある共演俳優たちには及ばない演技力を晒す。
それでも私たち母娘は2ndを観ながら、1stの子たちのそれから、を観る。
その中で、ひとつふたつと何かをつかんで2.5次元以外に居場所を求める彼らが健気で、力強かった。

それが数年前から雨後の筍のごとく2.5次元が表立つが、30歳を過ぎてから戻ってくる俳優が増え始めているので受け皿にも思えて嫌な気持ちになる。
今、2.5次元舞台にも格付けがあって、私は「とうらぶ」が俳優たちにとってステータスになってると思うのだけど、たぶん合ってる。
そうなると格上の舞台を目指すのは当然で、事務所が送り込む俳優が多くなりオーディションの質も落ちてくるだろう。
でも、事務所はその後の彼らの管理をしっかりできない。
一人のマネージャーが数人を担当するのも普通で、健康管理や私生活まで目が届かない。
どこかの事務所のように、俳優の人生まで握れとは言わないが不祥事を起こしたくなければ、少し突っ込んだ管理も必要かもしれない。
まぁ、使い捨てだと思えば切るのも楽なのだろうが。

君沢ユウキも最近「2.5次元を超えられる作品に恵まれました」とTLしていて、2.5次元界隈がそんな雰囲気になっているのだな…と改めて思いを深くしてしまった。
ゼロ年代はテスト上演時なもので始まった2.5次元舞台が、腹を裂かれることのない金のガチョウであることに各方面が踊らされている気配も感じられなくもない。


三浦宏規が「レ・ミゼラブル」のマリウスのトリプルキャストに決まったが、ほかの二人とは年齢的な面もあるが圧倒的に舞台経験値が少ない。
当人は凹むようなタマではないが、周りの味方はシビアに成らざるを得ない。
ただ、ひとつ別の世界へ踏み出せる俳優がいることは救いだと思う。

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青学vs六角のライビュを鑑賞。
観劇予定はなかったのだけど、娘が9代目青学の乾を観たいというので、急遽取ったチケット。

不二とサエのキャストの姿がいい。
六角は和やかなチームになっていて、雰囲気の良さが伝わる。

ところが、手塚と越前の声を聴いて驚く。
役者としてはダミ声に近い。
特に手塚は常に力んだ発声をするので、アラが目立つ。
始めは大楽なので、ここまで来るのに声を酷使したかと思ったが、そうでもないようだ。
(変声期なら、思い切った決断を興業側はするべきだったかも。「黒執事」のように降板例もある)。

越前は声が小さいし、生意気さの欠片もない。
顔はいい。目に力はないが、カタチは越前に似ている。
だから、少し惜しい気がしてならない。
「通を思い出すけど、」と言いかけた私に「通は良かった。まだ、オーラがあった。古田の方がよかったって思えるリョーマがいたなんて」と珍しく憤慨していた。


俳優は何をおいても、声が良くなくてはならない。
まして2.5次元舞台はキャラクタービジュアルとともに、声優に似せた声を持つのが良いとされる。
ミュージカル「黒執事」のアンダーテイカー役、和泉宗兵はアニメのCV諏訪部順一の声を意識したという。
ベテラン俳優の和泉も2.5次元の舞台はそれだけ恐ろしかったのかもしれない。
(和泉は「進撃の巨人」に出演が決まった)

テニスの試合シーンが短く、お笑い要素の場面に尺を取っているのはどういうことか?
汗もかかずにすっきり終わる試合に、釈然としない。
加えて氷帝の跡部、三浦宏規贔屓な演出に彼のバックに何かあるのかと思ってしまう。
この分だとチムライもドリライも彼のワンマンショーになりかねない。
バレエの世界から舞台に移ることを16歳で決断したのなら、野に下ることをよしとしているはず。
もし、周りの大人たちに決断を余儀なくされたとしたら・・・それは問題だが。
やはり歴代の跡部同様に扱うべきだし、3rdの特色として彼を欲しがったのだとしたら、演出(使い方)を間違えているを思う。
(この特色の意味は一部では、肯定されている)

ラストに立海の赤也におびえる越前のシーン。
赤也は立海最弱と思うけど?
越前が怯えるほどのライバルが立海戦には登場する!という番宣?
それ、必要??
だったら、関東立海には不安しかない。
アンケートを参考にしている可能性はあるのだけど、原作<舞台といったファン比率も否めない。

2ndの時から思っていたことだけど、徐々にキャストの年齢が下がり、座長以外で年長者としてカンパニーのまとめ役がいないのもいけないと思う。
1stの加藤や兼崎のように、態度や言葉ではっきりと示せる存在は必要だ。

ただ、2ndで木村が友常に叱られた時に反発してお互い譲らず1ヶ月話さなかったが、木村が友常の言葉を顧みて自分を正したと語った。※


演じる側が2.5次元を思いを語ったトークは若干の苦々しさが滲む。

馬場「特に漫画原作の舞台は色々言いたくなちゃう。分かりやすく絵も提示されてるし、そういう意味ではシビアな世界」
郷本「俺の願望としては演劇人の先輩方に2.5次元舞台をちゃんと観に来てほしい。同じ演劇界だとこっちは思ってて、向こうはそうじゃないって思ってるかもしれないけど、一回観ろよって思う」
小越「だからこそ、中途半端はダメ、今広まってるからこそちゃんと作り上げて」
馬場「良いもんもあるし、悪いもんもある」
小越「みんなが同じ気持ちをもってやったら、もっと変わるのに」

また馬場は3.4年、2.5次元を離れていた時期に思ったこととして「2.5次元舞台って1つ下のカテゴリーとして見られがち」と言っている。※

「演劇人は、夜な夜な、下北の街で吞み明かす・・・」のトークからの抜粋。



ここ数年、キャストの質は確実に下がっている。
2.5次元ミュージカルのタイトルが増え、今やテニミュだけが新人の登竜門ではない。
オーデションも、テニミュの中で複数のキャストを受けていた今までと違い、他のオーデションも受けられるはず。
すなわち、俳優と事務所にとって出演舞台への間口が広がったと言える。
テニミュも、二番手、三番手の俳優を使わざる得ない状況になるし、現にそうなっているのかもしれない。
アジア進出は、国内での興業的な苦しさを感じさせるというのは考えすぎか?

今や、2.5次元ミュージカルの老舗扱いをされるテニミュ。
私自身は、1stの舞台の感想を紙ベースやブログに記録したりすることはなく、プログラム購入しない公演もある。
公演数がファンの観劇希望回数と比例せず、チケット獲得も困難だった。
当時はTwitterやラインのような、瞬時の発信媒体もない。
観ることだけで満足をしていた。
汗にまみれて、舞台を務める若い彼らがひたすら眩しかった。
そんな彼らの躍動を、文字などで到底残せるものではない。

現在もそうだが、舞台は母娘で通う。
観劇仲間もできなかったし、作ろうとは思わなかった。
(娘には数人いるようで、喜ばしい)
私は2ndになってから、少しづつブログに感想を綴った。
1stの子たちが、次のステージに羽ばたいていくことが妙に嬉しかった時期だ。
テニミュで培ったことが意味あることなのだと、彼らが体現してくれているようで。
反面、「テニミュ上がりの俳優」と蔑まれていないかと、ふっと思うこともあった。
それが上記の馬場の言う「格下の演劇」と見られていたであろう2.5次元ミュージカルの当時からの状況。

そんな負の部分を丸抱えして、繋がれてきたバトンがどこまで駆けていくのか。
不安でもあり、楽しみでもある。



まずは、帝劇「エリザベート」を語ろうと思うのだけど、ちょっと置いといて・・・
こっちが先です。歌舞伎座「七月大歌舞伎」よ。
また、海老蔵の悪口でしょ!とお思いの方々はだいたいあってる。

昼の部で演目は・・・
一幕「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」(獅童、右近)
二幕「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」(玉三郎、海老蔵)
三幕「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」(猿之助)
の三本です(サザエさんを意識)


歌舞伎は年々高齢化してるらしいのだけど、昔から名優を観まくってる歌舞伎歴数十年の方々が客席を埋めてることを忘れたらいけません。
私なんて、歌舞伎座のお手洗いに並んでる最中に、そういったご年配のお歴々の噂話に聞き耳立てちゃいます。
こういった方々は、脳内にしっかり役者の家系図が張り付いているし、数々のエピソードも井戸端会議のごとくいたしますので、ありがたい。
加えて、今回はおしゃれファッションの60.70代のおばさま方がいっぱい。
20年後のお手本にさせていただくわ。
と、まぁ、こんな目の肥えた観客を前に「ヘタなりに一生懸命」とか「台詞を噛むのもご愛嬌」は許されない。
家名(屋号)を名跡背負ってる重責を忘れてはならないから。

海老蔵の芸が及第点であれば、素行の悪さに目を瞑っても贔屓にしたと思うの。
見目も悪くないし、先代猿之助に「狐忠信」の教えを乞うた真摯さも買いましょう。
しかし・・・歌舞伎は完璧に演じてナンボである。

今の海老蔵に求められているのは、獅童や愛之助とともに若者を歌舞伎に呼び込むことなので、芸は後回しにされるのね。
代わりに安定した人気を誇る若手は、勘太郎、七之助兄弟や先代の流れを汲む猿之助率いる澤瀉一門、菊之助や辰之助(現・松緑)といった平成三之助(もう一人は新之助/現・海老蔵)あたりね。
澤瀉屋を紐解けば、才能過多な若手役者は多いけど、ここでは割愛。


一幕を一言で言えば、右近に頼りっぱなしの獅童ってとこかしら?
獅童が中学生でタラタラと舞台に出ていた頃、右近は先代猿之助の右腕として舞台狭しと奮闘してたわ。
それなりに人気が出てきた現在、自分のほうが右近より格上だとでも錯覚しちゃってるのかしら?
だとしたら、私たち観客も舐められたものね。
とはいえ、客席を埋めている歌舞伎歴数十年の方々は芸のなってない役者に、拍手なんかしないわよ。
ここでハラハラしたのが、トンボを切る獅童のお弟子さんたち。
とにかく危なっかしい。3人超えの時なんて、着地がぎりぎりで間違えば大怪我だわ。


二幕は最悪。
お富さんの源氏店と言えば、有名なシーン。
婀娜っぽい玉三郎のお富をしばらく堪能後、熟睡。

「いやさ、お富久しぶりだな」のセリフで覚醒したわ。
そのまま、お富を囲っている(振りをしている、実は実兄)中車の静かな佇まいが舞台に充満していて、なんだか見直してしまった。
私にとって、中車は先代猿之助の声を思い出させる唯一の存在。
彼こそ、芸は後付でいいと思ってるのに、やっぱり、映像の世界に身を置いてきた香川は上手い。
舞台の見せ方を知ってる感じね。
世話物の時に、この中車のような位置の役者が澤瀉屋にはいなかったので、これから重宝がられるかも。
澤瀉屋は華やかさが先に立つので、中堅のこういったタイプの役者が育たなかったしね。

三幕は観客も一体になって盛り上がってるのがわかる、スゴイ舞台だった。
先代の「伊達の十役」も素晴らしかったけど、この猿之助の六役早変わりも久しぶりに澤瀉屋のチームワークの良さを感じたわ。
壁の向こうに消えたと思ったら地方さんたちの所から出てくる。
花道に消えたと思ったら、舞台の中央に登場する。
全く、その小気味よさと言ったら・・・・!
澤瀉屋の本領発揮、八面六臂の大活躍。
客席から感嘆とともに送られる拍手は、老若男女関係なく楽しんでる雰囲気に満ちていて。
まだまだ、歌舞伎に通わなくてはと気持ちも新たになる、現金な私。


蜘蛛の化身の話なので、千筋の糸を多用するんだけど、四方八方にまき散らされるその糸を後見がしゅるしゅると綺麗な所作で巻き取って、何事もなかったように袖に消えて行くのよ。
あれも、芸のひとつだわね。
舞台の上の動きは全て芸でなくてはならない、それが徹底してる。

ここでは、ツケ(上手の隅にすすっと現れて役者の動作に合わせて、拍子木みたいなのを床に打ち付ける音響さん?)がもう名人芸!少しの間、舞台よりツケ打ちさんを見つめちゃったわ。
地方さんだちというか浄瑠璃の方々(この辺の区別が良く分かっていない私よ。反省)、役者の熱が移るのか身を乗り出して唾飛ばして語る姿には感動するわ。

浄瑠璃と言えば、清元志寿太夫さんという、私が見初めたころにすでに90歳を越えていらした人間国宝の方がいらして、私たちの間ではちょっとしたアイドルだったわ。
「志寿太夫さん、今日もお元気でよかったわ」って声をよく聞きました。
みなさん、健康状態を気にしてましたね。
その志寿太夫さんの曾孫が、一昨年「ロミジュリ」のトリプルキャストでロミオを演じた柿澤勇人くん。芸事の家はやはりDNAが違うのね。

それから、あえて死語だけど使うわ。
KYな30代前半くらいの女が二列前の下手にいて、まず、露出多めの服装(イタイ・・・!)が浮きまくり。しきりに拍手(それも頭上でアピール拍手)、くだらない海老蔵のギャクに大声で体を揺らして笑うといったわかりやすさ、猿之助の早変わりを感嘆するどころか大はしゃぎ!舞台に向かって手を振るわ、なんなの、この珍獣?

大向こうさんだって、声をかけるところが流れで決まっているのと同じで、ここで拍手っていうのはある程度、演目によって慣例化してるし、初めての演目でもまわりを察して、覚えるんですけど。

さて、猿之助のスーパー歌舞伎Ⅱの「ワンピース」の配役が出揃ったわ。
この舞台、2.5次元ミュージカルが好きな方にぜひ見てもらいたい。
おそらく舞台に数々の仕掛けが施され、役者が舞台狭しと暴れまわるはず。
スーパー歌舞伎Ⅱと銘打ってるのは先代への尊敬か、抗いかはわからない。

少年のころから父と叔父が奮闘する舞台を一番近くで見てきた猿之助。
四代目を継ぐにあたっても葛藤はあったはず。それでもすべてを受け入れたのは、やはり歌舞伎への情熱が、澤瀉屋の血が、沸き立ったのだろう。

私が初めて観たのはスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」。
それも、宝塚で言うところの新人公演。
主役を演じたのは猿之助ではなく、中村信二郎。容姿はさわやかなイケメン。
当時、あれは歌舞伎ではない!とレッテルを張られた猿之助のスーパー歌舞伎は助演してくれる役者は皆無と言ってもよかったのよ。

しかし、澤瀉屋だけではどうしても補えない。
そこへ、「ぜひ、使ってほしい」と申し出たのが信二郎。
叔父が確か時蔵丈、名門の出であるにも関わらず、猿之助に頭を下げたって聞いてる。
私にとっては、夢のような舞台だったわ。だから、それがインプリンティング。
その信二郎の息子、隼人が「ワンピース」にサンジで出演。
この子も父親似のイケメンくんです。



普通の歌舞伎(語弊があるけど)は一生懸命勉強して、楽しめるレベルまでになったのよ。
でも、当時は歌右衛門丈をはじめとする名優がごまんといたので、観たい舞台が目白押しだったのも原因ね。

どうも、長くなってしまったわ。
勘太郎と、巳之助の「棒しばり」のお話はまた今度。


私は十一代目海老蔵の舞台を観たことがない。
観たいと思ったこともないし、彼に魅力を感じたこともない。
そんな私を諌めるように、偶然にも申し込んだ招待枠が当選した。

スター性はあるが、芸がついていかない・・・それが成田屋に対する私の率直な意見だ。
先代が海老様と呼ばれ、その美男ぶりを褒められこそしたが、当時の歌舞伎座は閑古鳥が鳴く状態だったと聞く。
松竹も頭を抱える中、救世主となったのが、異端、歌舞者、ケレン役者と蔑まれた市川猿之助(現:猿翁)だった。
彼は、養成所出身者を部屋子に据え、厳しい修行を課した。
血筋よりも、芸を選んだことで梨園の反発を買うが、それを演じることで払拭する。
「猿之助歌舞伎」「スーパー歌舞伎」口語を交え、スピード感溢れる舞台はそう呼ばれた。
しかし、それはきっかけに過ぎない。
宙乗りを「サーカス」とまで蔑まれた猿之助一門は、古典歌舞伎も美しく忠実に演じて観せていく。
当時、一枚看板で客を呼べるのは、猿之助と玉三郎と言われたものだ。


2015年、新橋演舞場の新春花形歌舞伎は市川海老蔵の「石川五右衛門」。
私は、彼の舞台を観るのがなぜか不安で、十数年ぶりに私に歌舞伎を教えた友人に同行を求めた。
そして、その不安は的中する。

触りのあと、紫に白抜きで「石川五右衛門」の幕が下がる。
まるで映画のタイトルのよう。
これからの壮大なスケールを予感させるが、そこまでだった。

「やはり・・・」
父・團十郎も口跡が決定的に悪かった。
舞台に立つ海老蔵の第一声も、硝子に遮られて篭り、どうにか客席に届いているとしか思えない状態だ。
海老蔵は顔も大きいし、すっきりとしているが上半身と下半身のバランスが悪い。これは歌舞伎役者として理想的な体型だ。

なのに、動きも余裕というよりは緩慢、それを堂々とやっているので余計に悪く目立つ。
早変わりも鈍く、必要のない脇の役者の繋ぎの演技を延々と見せられる。
物語は、ファンタジー要素を取り入れて面白くしている脚本は認めるが、ストーリーを演じ切れておらず、幕が変わるごとにに話がぶつ切り。
これでは、筋書きを追っても、イヤホンガイドでいくら説明されても、何も伝わらない。
五右衛門が中国で悪者を退治しました、めでたしめでたし・・・では桃太郎だ。

その中で、誠実に演じ舞うのは助演の澤瀉屋の面々だ。
五右衛門と絡む、秀吉役の右近。その家臣役の猿弥。
中国の女将軍役の笑三郎。
特に笑三郎の舞は戦いを表すスピード感にあふれていながら、仕草が指先まで美しい。
剣舞も有り、圧倒的な存在感を花道で示す。

それでも、拍手もまばらで客席も盛り上がらず、そのまま大詰へ。
敵を蹴散らす芝居も、足払いはのろのろとしている上にトンボもまともに切れない門弟たち。

門上からいきなりあのくぐもった声で、「絶景かな、絶景かな」と本日何度目になるのか、数えるのも億劫になった見得を切られ、「帝になった」と続くセリフに私は唖然。
客席もあまりの脈絡の無さに失笑がもれたほどだ。
そしてあろうことか、そのまま芝居は終わってしまった。
これが、門弟筋まで名優を輩出すると言われる成田屋なのか・・・?
なにかの間違いであってほしい。



帰り支度をしながら、「定式幕を引きすぎよね」と同行の彼女が言う。
場の変換を定式幕で区切ることで済ませていると・・・
幕と幕の間の違和感はそれだったのだと、私は気づいた。
彼女に連絡した際に「海老蔵はどうか」と尋ねたが、言葉が出なかったのは「招待で行く程度なら観られないこともない」の意味だったのだろう。

夜の銀座を歩きながら、彼女は言う。
「私たちは、いい時代の歌舞伎を観すぎたのよ。」
舞台狭しと身体全体を使って、演じた猿之助。
早変わりも長けて、それこそあっという間に舞台に戻ってくる。
(当時、つけていた観劇日誌に「代役かと思った」と書いてある)
裏方たちの仕事も楽ではなかったろうが、芝居を成功させることで応えていた役者たちに満足していたと思う。

「今はね、骸骨のようになってしまったわ。」
病を得た猿之助のことだ。
「病気が、猿之助から芸を奪っていく。」
同感だった。
「右近が、猿之助を継ぐとあの頃は思ってたのにね。」
彼女もうなづいた。

病気は心も弱くさせる。
猿之助は唯一の実子である香川照之が、かつて楽屋を訪ねた折り門前払いをしている。
だが、やはり「血は水よりも濃い」を受け入れた。

香川の今の活躍があるのは、この門前払いによる奮起もあると思う。
歌舞伎俳優の父と祖父、宝塚の元娘役トップの母、浜木綿子。
祖母は戦前に活躍した女優、高杉早苗。
それを思えば、香川も従兄弟の亀治郎(現:猿之助)も芸事はサラブレッドだ。

しかし、香川は芸能界で亀治郎も進学の為に舞台から離れていた時期がある。
ある意味その留守を預かり、猿之助と共に澤瀉屋を盛り上げたのは弟の段四郎と部屋子達だ。
今では、玉三郎が春猿を離さず、笑三郎は藤間流の踊りの名手。
右近、笑也は常に彼らのトップに立ち、猿之助に添うた。
その門弟たちが今や、唯一猿之助の歌舞伎を肌で知る者として、別門の御曹司達から教えを請われるほどになっているらしい。
かつて絶頂期の猿之助の舞台を支え、ノウハウを知る裏方の人たちも同様だ。

「石川五右衛門」を澤瀉屋が演じたなら、全く違ったものになっていたに違いない。
何よりも歌舞伎の従来の演出を覆す、観客に楽しませ、受け入れられる歌舞伎を目指したパイオニアが澤瀉屋で有り三代目猿之助だ。

今でも「リュウオー」のカーテンコールが忘れられない。
一瞬場内がしん・・・したと思ったら、後方席から押し寄せるどよめきに、私は驚いて振り返った。
上階の観客が総立ちになり拍手を贈っていた。
それはいつまでも、鳴り止むことがなかった。

観る者を素直な感動に導く。
私は、ずっとそうした歌舞伎を観てきた。
「いい時代を観すぎた」のかもしれないと思う。
けれど遠くない未来に、同じ時代が築けていることを私は強く願う。


☆☆二つの項目のうち好きな方を選んでください
(小説の系統を選択する場合は、書き手として選んでください)
ついでにその理由もお願いします



まずはお名前をどうぞ

亜奏夜羽です。

ほのぼのorギャグ

たまにほのぼの。大体がシリアス
ギャグは自分の記憶では2編だけの気が。
「今日咲き尽くす一日の花(仁王)」
「And you shall be a true lover of mine(カカシ)」

死ネタor悲恋

悲恋かな。キャラが死んじゃうのヤダし。
悲恋の方が余韻がいいと思ってる。

表or裏

裏は全体の10%くらい?
でも、押し倒すシーンや未遂までなら表にしちゃってます。
ってゆーか表にもいかがわしい侑士やギンがいます。
不埒な仁王もいます、すみません。


短編or長編

短編は苦手です。いつも苦しむ。
長編か中編になっちゃう。

恋人同士or友達以上恋人未満

恋人同士かその過程が多いです。
夢だからやっぱり恋愛が書きたいです。
宙ぶらりんなヒロインは可哀想だしね。

腐れ縁or喧嘩友達

腐れ縁設定ならガンガンいける!


男主人公or女主人公

女主人公。

BGMありorBGMなし

初期の頃はBGM入りがお洒落なサイトって感じでしたが、最近はなくなりましたね。
曲を集めるのが面倒だったのと、丁度規制が始まって選択が狭まったこともあり私は使ったことないです。

後書きありorノンフィクション

別ページの後書きがあります。

PCor携帯

サイトはPCオンリー
ブログは携帯でもOKです。

下書きありor一発書き

すごい量の下書きをします。
キャラを変えてみたり、視点を変更したり、台詞を入れ替えてみたり。
でも、これ以上書き直せない!という域にまで達したものはまだ無いと言う悲しさ。

一人称or三人称

三人称が好きだけど、短編では一人称も書きます。

思うがままにorあくまで原作に忠実に

思うがまま!とゆーかやりたいホーダイです。
キャラたちの未来だけでなく、その周辺の設定やオリキャラなんかも考えるとキリが無いほど楽しい。

お疲れさまでした!最後に一言と、回す方をどうぞ(何人でも)


「Another Moon.r」の樹咲沙季さんからいただきました。


沙季さん、ありがとでしたー!
八戒とギンをガンガン投下して下さってるので、私はキャーキャーゴロンゴロンですよ。
どうしてくれるのっ!沙季さんのお話は読み始めるとサイト内サーフィンしてしまうので要注意なんですのよ。いつの間にか朝になってるーー!ってことが何度あったことか!

☆雪実さん(おヒマなときにでも)とフユコさん(体調の良い時に)よろしかったら。