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Eternal full moon/under_blog こそりとdeepに語ってます、はい。

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夜羽(よわ)
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私は十一代目海老蔵の舞台を観たことがない。
観たいと思ったこともないし、彼に魅力を感じたこともない。
そんな私を諌めるように、偶然にも申し込んだ招待枠が当選した。

スター性はあるが、芸がついていかない・・・それが成田屋に対する私の率直な意見だ。
先代が海老様と呼ばれ、その美男ぶりを褒められこそしたが、当時の歌舞伎座は閑古鳥が鳴く状態だったと聞く。
松竹も頭を抱える中、救世主となったのが、異端、歌舞者、ケレン役者と蔑まれた市川猿之助(現:猿翁)だった。
彼は、養成所出身者を部屋子に据え、厳しい修行を課した。
血筋よりも、芸を選んだことで梨園の反発を買うが、それを演じることで払拭する。
「猿之助歌舞伎」「スーパー歌舞伎」口語を交え、スピード感溢れる舞台はそう呼ばれた。
しかし、それはきっかけに過ぎない。
宙乗りを「サーカス」とまで蔑まれた猿之助一門は、古典歌舞伎も美しく忠実に演じて観せていく。
当時、一枚看板で客を呼べるのは、猿之助と玉三郎と言われたものだ。


2015年、新橋演舞場の新春花形歌舞伎は市川海老蔵の「石川五右衛門」。
私は、彼の舞台を観るのがなぜか不安で、十数年ぶりに私に歌舞伎を教えた友人に同行を求めた。
そして、その不安は的中する。

触りのあと、紫に白抜きで「石川五右衛門」の幕が下がる。
まるで映画のタイトルのよう。
これからの壮大なスケールを予感させるが、そこまでだった。

「やはり・・・」
父・團十郎も口跡が決定的に悪かった。
舞台に立つ海老蔵の第一声も、硝子に遮られて篭り、どうにか客席に届いているとしか思えない状態だ。
海老蔵は顔も大きいし、すっきりとしているが上半身と下半身のバランスが悪い。これは歌舞伎役者として理想的な体型だ。

なのに、動きも余裕というよりは緩慢、それを堂々とやっているので余計に悪く目立つ。
早変わりも鈍く、必要のない脇の役者の繋ぎの演技を延々と見せられる。
物語は、ファンタジー要素を取り入れて面白くしている脚本は認めるが、ストーリーを演じ切れておらず、幕が変わるごとにに話がぶつ切り。
これでは、筋書きを追っても、イヤホンガイドでいくら説明されても、何も伝わらない。
五右衛門が中国で悪者を退治しました、めでたしめでたし・・・では桃太郎だ。

その中で、誠実に演じ舞うのは助演の澤瀉屋の面々だ。
五右衛門と絡む、秀吉役の右近。その家臣役の猿弥。
中国の女将軍役の笑三郎。
特に笑三郎の舞は戦いを表すスピード感にあふれていながら、仕草が指先まで美しい。
剣舞も有り、圧倒的な存在感を花道で示す。

それでも、拍手もまばらで客席も盛り上がらず、そのまま大詰へ。
敵を蹴散らす芝居も、足払いはのろのろとしている上にトンボもまともに切れない門弟たち。

門上からいきなりあのくぐもった声で、「絶景かな、絶景かな」と本日何度目になるのか、数えるのも億劫になった見得を切られ、「帝になった」と続くセリフに私は唖然。
客席もあまりの脈絡の無さに失笑がもれたほどだ。
そしてあろうことか、そのまま芝居は終わってしまった。
これが、門弟筋まで名優を輩出すると言われる成田屋なのか・・・?
なにかの間違いであってほしい。



帰り支度をしながら、「定式幕を引きすぎよね」と同行の彼女が言う。
場の変換を定式幕で区切ることで済ませていると・・・
幕と幕の間の違和感はそれだったのだと、私は気づいた。
彼女に連絡した際に「海老蔵はどうか」と尋ねたが、言葉が出なかったのは「招待で行く程度なら観られないこともない」の意味だったのだろう。

夜の銀座を歩きながら、彼女は言う。
「私たちは、いい時代の歌舞伎を観すぎたのよ。」
舞台狭しと身体全体を使って、演じた猿之助。
早変わりも長けて、それこそあっという間に舞台に戻ってくる。
(当時、つけていた観劇日誌に「代役かと思った」と書いてある)
裏方たちの仕事も楽ではなかったろうが、芝居を成功させることで応えていた役者たちに満足していたと思う。

「今はね、骸骨のようになってしまったわ。」
病を得た猿之助のことだ。
「病気が、猿之助から芸を奪っていく。」
同感だった。
「右近が、猿之助を継ぐとあの頃は思ってたのにね。」
彼女もうなづいた。

病気は心も弱くさせる。
猿之助は唯一の実子である香川照之が、かつて楽屋を訪ねた折り門前払いをしている。
だが、やはり「血は水よりも濃い」を受け入れた。

香川の今の活躍があるのは、この門前払いによる奮起もあると思う。
歌舞伎俳優の父と祖父、宝塚の元娘役トップの母、浜木綿子。
祖母は戦前に活躍した女優、高杉早苗。
それを思えば、香川も従兄弟の亀治郎(現:猿之助)も芸事はサラブレッドだ。

しかし、香川は芸能界で亀治郎も進学の為に舞台から離れていた時期がある。
ある意味その留守を預かり、猿之助と共に澤瀉屋を盛り上げたのは弟の段四郎と部屋子達だ。
今では、玉三郎が春猿を離さず、笑三郎は藤間流の踊りの名手。
右近、笑也は常に彼らのトップに立ち、猿之助に添うた。
その門弟たちが今や、唯一猿之助の歌舞伎を肌で知る者として、別門の御曹司達から教えを請われるほどになっているらしい。
かつて絶頂期の猿之助の舞台を支え、ノウハウを知る裏方の人たちも同様だ。

「石川五右衛門」を澤瀉屋が演じたなら、全く違ったものになっていたに違いない。
何よりも歌舞伎の従来の演出を覆す、観客に楽しませ、受け入れられる歌舞伎を目指したパイオニアが澤瀉屋で有り三代目猿之助だ。

今でも「リュウオー」のカーテンコールが忘れられない。
一瞬場内がしん・・・したと思ったら、後方席から押し寄せるどよめきに、私は驚いて振り返った。
上階の観客が総立ちになり拍手を贈っていた。
それはいつまでも、鳴り止むことがなかった。

観る者を素直な感動に導く。
私は、ずっとそうした歌舞伎を観てきた。
「いい時代を観すぎた」のかもしれないと思う。
けれど遠くない未来に、同じ時代が築けていることを私は強く願う。

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