私にとって今の銀座は銀座ではない。
まず、ティーンエイジは歩いていなかった・・・いたとしても必ず両親なり大人と連れ立っていた。
コンビニやファミレスはなくチェーン店も存在しなかった。
5丁目のドラッグストアのチェーン店の場所は私がお気に入りの書店のひとつだった「近藤書店」だった。
ユニクロの新店舗は一階が最新のDCブランドを提供するブディック、二階はサンローランだった。
4丁目の大通り沿いに「キンタロウ」と言う玩具屋があった事をどれだけの人が記憶しているだろう。
主人と結婚してここでバク転する子犬のヌイグルミを買った、子供が生まれたらここでオモチャを買ってあげよう。
そんな事を言いあっていたのにそれからまもなく閉店した。
一世紀を超える老舗の店、バブルの崩壊は銀座に容赦がなかった。
***
「私どもがお預かりしているお嬢さま(奥さま)ですので・・・」
今も昔も、社員の事をこんな風に言ってくれる会社があるだろうか?
私が世間を知るために一度だけ勤めた会社。
時代は切れる寸前の電球が最後に一番の光をを放つかのように足掻いたバブル末期。
宵越しの金は持たない・・・酔狂な言葉が現実だった時代。
誰もがお金を使うことに夢中になった時代。
そう、金余りの時代・・・私はそんな夢物語を目の当たりにしたひとりだ。
11:00から19:00までの勤務。
通勤手段は「新幹線」
仕事は・・・一番簡単に言えば、お話し相手。
それだけで、普通のサラリーマン家庭が一ヶ月十分に暮らしていけるだけのお給料が頂けた。
伯父の口添えで面接に向かった私は化粧直しに入ったレストルームの豪華さもさることながら、同じ目的で鏡に向かう少し年上の女性たちに圧倒される。
リップスティックは白地に紺のラインとCDの文字「ディオール」
(このあと現在のものにデザインチェンジされる)
一目でエルメスとわかるスカート。
全身シャネルの人も。
バックはエルメスのケリー、シャネルのクラッチ型のショルダー。
時計はロレックス、ビアジュ、コルム・・・
大ぶりのフープのピアス、半貴石の周りをダイヤが埋め込まれたリングとカルティエのスリーゴールドのピンキーリング。
ヴィトンのパピヨンなんて私だけ。
ケリースポーツかプラダにすれば良かったと思ってももう遅い。
「あら、プレスト・ダ・モゼルの新作よね?」
前髪を逆立てたロングヘアの女の人が私を見て聞いた。
桜色のシルクが少し入った生地のワンピースは白いパイピングだけがアクセントになっているがこの中では明らかに地味なものだ。
でもブランドは確かに彼女が言うものに間違いない、形だけは・・・
このワンピースは「JJ」に載っていたものをそっくりそのままに母が作ったものだから。
母は若いときはお針子をしていて結婚してから趣味と実益を兼ねて家で縫製の仕事をしていた。
田舎では珍しい腕の良さを買われて有名人の衣装なども任されることもある。
その母の手製を小さい頃から着せられていた私は既製品の着心地の悪さと言ったらなかった。。
どんなに綺麗に直してもデザインの崩れは免れないし、だったら最初から自分の身体にぴったりのものを着たほうが良い。
このワンピースはウエストの絞り具合も撫で肩の私に合わせた袖付けも綺麗に出来上がっていたからお気に入りだった。
─ 案外、目は肥えていないのね、
なんだか笑い出しそうになった事を覚えている。
結局、そのときに入社したのは私一人。
他の人たちは身内に大臣がいるとか検察のおエライさんがいるとか散々言ってたのに。
店に私が新人として入った事がまず最初に三/越に伝わったらしく、関連部門の部長職の人が部下を数人連れて来店した。
二十歳そこそこの私に丁寧に腰を折った事にただ驚くばかりだったが私もバカではない。
この人たちが「この店に勤める私」にしたことだと認識する。
女性は私を含めて六人でうち既婚者はふたり。
そのうちのひとりであるNさんは娘くらいの齢の私に何かと目に掛けてくれた。
制服を着ていなければ良家の奥様の雰囲気で信州訛り残る上品な方だ。
貸ビル業を営む家の末娘(この人は宝塚出身)。
誰でも知っている塗料会社の経営者一族の娘。(彼女は家業を「うちはペンキ屋だから、」と言っていた。)
青森出身の歯科医の娘は両親がここの大得意だという縁で入社したと言う。
千葉の海沿いの田舎の地主の次女。
そんな人たちに比べて私の出自など言えたものではない。
Nさんは岐阜の由緒ある旧家のお嬢さまでシカゴの留学から帰った翌日に結婚式を挙げさせられたと嘘のような本当の話があって。
黙って式は挙げたものの無性に腹が立って終ってから帰ろうとしたときにご主人が「もう少し、一緒にいてください。」と言ったので、そのまま二十年以上も一緒にいることになったと笑う。
一転したのは長男が生死をさまよう大事故にあったときに「死亡承諾書」にサインしたことだと言っていた。
「子供が死んでもかまわない」と言う事を承諾して何かが吹っ切れてしまったと。
確かに、そんな転機でもなければ外資系の企業の取締役の奥さまが外に出るはずがない。
私だけが英語を話せなかったのでNさんは常套句や会話を時々教えてくれた。
その甲斐あってか、通勤の途中に話しかけられても少し自信を持って話すことが出来たが、お店での些細な事が引き金になって私は英語と使うのを意固地なまでに拒むようになる。
(この件はまた後ほど)
店に在籍することで得したことが多かったのは真実だけれど、その分嫌な思いも多かった。
丁度、半年ほど経って店にも銀座にもなじんできた頃だった。
商談をまとめるのは男性で私たちはお客さまを担当者に引き渡すまでの連絡係であり、芝居で言えば幕間の話し相手。
その日の朝礼でSさんが自分の上得意が今日来店するから粗相のないようにお願いしたいと皆に頭を下げ、終ってからそのお得意と面識のない私にPC画面の台帳を見せながらレクチャーした。
「一本、落としてくれるからね。一度の来店で。」
「あれ、ご住所・・・うちの隣の市ですよ。」
「え、そうなの?」
「ええ、車で30分くらいですね。」
「知り合いってことないよね?」
「まさか!一千万も平気で使う知り合いなんていませんよ。」
「はは、それもそうだよね。」
Sさんは当時三十歳になったばかりで縦横が大柄な人だけれどとても柔和な表情を作れる顔をしていた、もちろんそれはSさんの性格と同様だったが、社内の噂では「西の方の大きな組の息子」と言われていた。
ユーミンの歌詞で有名になった葉山の「ドルフィン」で学生時代アルバイトしていたというSさんと、
「組の息子」と言うのがどうしても結びつかなかったがSさんが田園調布の高級マンションに住んでいる事実や、小娘の私が見ても身に着けるものは高価な一流品ばかりだったし、コロンもダンヒルの海外ものだったのが、なんとなく噂を噂でなくしているようにも思えた。
やがて、上得意さんはおつき二人を連れて来店され私はSさんの少し後ろだけれど商談風景がよく見え声も届く場所に立っていた。
邪魔にならず、Sさんの手助けもすぐできる位置だったが、しばらくしてそのお得意さんが私を手招きした。
驚いたがSさんのためにと返事をして近づくと私の実家あたりの年寄りたちが使う語尾で大きな声で私に話しかける。
「よく似てっけど、あんたは彦/八さん(実名)の娘さんかい?」
伯父の下の名が出て吃驚した。
「いえ、彦/八は伯父で・・・私は一番下の弟の娘です。」
「姪っ子さんかい、下のって言うとお針さんを奥さんに貰った人かい?」
母の事をお針さんと言われて頬が上気するのがわかった。
田舎の人間はなぜか本人のことよりその周りの人間の出身や肩書きを気にする。
この人も私ではなく伯父を基準に私と言う人間を測っているのだ。
「―(私の旧姓)もあんたのように働く人がいるんだね。」
Sさんを見れば困惑しているし、静かな店内には婦人のガラついた声が響いて居たたまれなかったが彼女は自分がいかに伯父と親しいか(伯父は法曹界で名が知れた田舎では有名人だった、一昨年受勲した)、― の本家と自分の実家がどれだけ懇意にしているか、そして彼女の夫が営む企業の大きさを誇らしげに話した。
「あんたも器量がいいんだから、いつまでもこんな遠くに勤めていないで嫁に出してもらうといい。」
そんなお追従にもならない事を言って、またSさんに向かい合った。
私への手前があるのかSさんの手腕か、この日いつもの倍のお金を落としてくれたそうだ。
レジのあるカウンターの横に立っていた私たちの直属の上司であるA部長は見送りが終った私に「よく、頑張りました。」と微笑んでくれた。
部長はあと少しで定年を控えている身だったが上背があり、細身に作った老眼鏡をスーツのポケットに落とす仕草が様になる人で、妙齢の婦人たちに人気があった。
「泣くかなって思っちゃったよ。」
Sさんが隣に立って話しかける。
「格式があるとか敷居が高いなんていわれても所詮はここも客商売だから、嫌なことのほうが多い。金があるから有名だからいい人だとはかぎらないしね。当たり前のことだけど・・・」
Sさんは「粗相のないように」と頼んだ自分に責任があると思っているのか静かだが饒舌になっていた。
「ありがとうね、夜羽ちゃん。」
Sさんは最後にそう言って頭を撫でてくれた。
帰宅して父に話すと「彦ちゃんの同級生でよ、昔っからいけすかねぇんだ。旦那がおとなしいのをいいことにどうしようもねぇな。」と言い捨てたので私も溜飲を下げた。
さらに、従姉妹の結婚式で偶然一緒になってしまったときにまた、あの例の大声で「夜羽さんはまだ(結婚)話はないのかね?」と聞かれた。
「いえ、二年前に結婚して子供がひとりいます。」と答えると所在なさそうに黙った。
周りにいる人たちは私が結婚した事を知っている、失笑が漏れた。
余談だが、三年前に彼女の夫の企業は10億近い負債を抱えて倒産した。
一家は離散したという。
それを知ったとき、私は小太りで優しそうな彼女のご主人を母方の祖母の葬式で見た事を思い出す。
ただ、腕に巻かれた無垢のコールドのロレックスがやはり気の強そうな夫人の趣味のように見えた。
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