Yの社内にあった旅行案内のデスクにいた私たちよりずっと年上のその人は、年齢よりも若くて綺麗だった。
Yは国内外問わず旅行フリークで短期の留学なんかも繰り返していたので、デスクの責任者のHさんとはすぐに仲良くなった。
そんな関係で私もYを通じて遊びに行くたび、Hさんと親しく話をするようになった。
当時Yさんは35歳で私たちよりもずっと年上だったけれどおっとりとしていて優しく、何よりも容姿が年齢に見えない美しさだった。
でも、親しくなっても自分のことは話さない。
仕事柄とても聞き上手な人で明るかったがYに言わせるといつもひとりで社内に友人がいないようだったらしい。
そんなHさんのところにふらっと顔を出した私に「今度ね、**駅前のマンションを買ったの。良かったら遊びに来ない?」と誘われた。
Yは誘われていないようだったが元からそんなことで拗ねるような性格の彼女ではないので逆に強く遊びに行くことを勧められる。
夏の暑い日だった。
駅ビルのフルーツショップでゼリーを買ってからターミナル駅を降りてすぐのマンションに着くと始めて見る私服のHさんが出迎えてくれた。
部屋着でもなくよそいきでもない白いシンプルなふわりとしたワンピースを今も覚えている。
エアコンが程よく効いた部屋はスッキリとまとめられて生活感があまり感じられなかった。だからといって寂しい部屋でもなく、センスのいい絵画などがさり気なく飾られている。
訥々と私たちは話をした気がする、どんな話をしたかは覚えていないけれど。
Hさんの仕事のことや旅行の話なんかだったと思う。
そこへ、突然スーツ姿の40代くらいの男性が入ってきて、私を見て驚きの表情を見せたがすぐに笑顔になった。Hさんはあわてる様子もなく、私を紹介した。
男性も私に名乗ったが忘れてしまった。Hさんの友人だと言ったが私は鵜呑みにする年齢ではない。
そして、シャワーを借りると言ってリビングを出て行った。
「驚いたでしょう、私も来るとは思ってなかったの。ごめんなさい。」
そして、私はシャワーを済ませた男性とHさんに挨拶して辞した。
その後、数回Hさんとは会ったが彼の話題が出ることはなかった。
家を買ったことが原因かどうかはわからなかったが、Hさんは別の支店に異動して、私とYの前から姿を消した。
デスクに行けば会えると思っていた私たちはHさんに連絡先を聞いていなかったので、私がマンションを訪ねれば良かったかもしれないが、男性のこともあったし、私も銀座勤務が決まりYも何度目かの短期留学に立ち、何も出来ないまま年月が経つ。
結婚が決まった頃だったと思う。
偶然、都内でHさんに声を掛けられて一緒に食事をした。
「最近気に入ってるステーキ屋さんなの。」と言ってとても高級な構えのレストランに連れて行ってくれた。
Hさんからあのマンションをバブル最盛期に買ったときの十倍以上の値段で処分して戸建を購入したと聞かされた。
「母を引き取ったの。」
戸建の購入をそう言った。初めて聞くHさんの私生活の話題だった。
「あとね、夜羽ちゃんわかってたでしょう。あの人のこと。」
男性のことだとすぐにわかって頷いた私にHさんは続けた。
「彼とは不倫だったの。でも別れちゃった。あの人ね、私に友達が出来るなんて思ってなかったって言ったの。だから夜羽ちゃんが来てたこと、凄く驚いてた。」
深くは語らなかった。
でもHさんは私やYに会えて楽しかった、そして自分が変われる事を知ったと言ってくれた。
男の人に不倫と言う形でしがみついている自分をHさんは許せなかったんだと思う。
でも別れるきっかけがなかった。
もし、私がマンションを訪ねなかったら、訪ねたとしても不倫相手の来訪がなかったら、Hさんはずっとあのままだったんだと思う。
偶然は時として人生を左右する。
若かったけれど、私はそれを目の当たりにした気がする。
私は子ども達に常に言っている事がひとつだけある。
「運の良い子になりなさい。」
自分の力ではどうすることも出来ないことだと思っている人が多いけれど、己の行動ひとつで何かが味方する瞬間は人生の中で何度でもある。
アラフォーの今だから言えることかも知れないけれど。
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